2009年5月29日金曜日

【公園】新緑の季節

5月12日

てんとう虫の幼虫を発見。


海苔のふるさと館で、ゴールデンウィークに子どもたちとヒマワリの種まきをしていました。
その種が、芽を出しています。


水道局の敷地内にはさまざまな樹木が茂っているが、柵の中には入れない。
ニセアカシアの葉がきれいな緑色を放っていた。

【地域】大森海苔のまち歩き(4) 浜端編

海苔問屋の守矢武夫商店です。
5月16日のテレビ朝日「食彩の王国」海苔編にも出演したばかりです。
海苔の販売だけでなく、食育と健康に力を注いだ商品作りしています。食育と健康に関する季刊誌も発行するなど、小さいながらも頑張っているお店です。


大田区立大森児童館は、大森漁業組合の跡地に建てられました。
昭和37年の漁業権放棄に伴って、昭和40年には漁業組合は解散。記念碑が建てられています。



その隣は大森第一小学校。明治8年創立の、元、貴船小学校です。
児童の殆どは海苔生産者の子弟で、大正時代は冬の海苔生産の期間だけ、朝5時から7時10分までの朝学が行われていました。
構内には、海苔資料室があります。

大森第一小学校校歌 (作詞 小平協平/作曲 小林如)
海の幸い波打つ所
寄せ来る海苔の
香りさやけく
朝日かげ軽やかに
歩みつつ
今日も楽しく 
つどわんわれら



大森東中学校の北側にある黒い板張りの建物は、主に海苔道具を扱っていた元鍛冶屋さん。


共立信用金庫は、大森漁業組合を前身として発足しました。大田区に本店を置く唯一の金融機関です。


岩波海苔店。手作りのホームページは、見ごたえがあります。
海苔の味も定評があるようです。


途中、大森ブルーがまぶしい建物やかやぶき屋根のお宅など、古い建物を多く目にしました。



弁天神社の愛称で親しまれている三輪厳島神社の祭礼は、5月30・31日。
祭礼の張り紙と並んで「奉納ライブ」!!なんともエキセントリック!

【地域】大森海苔のまち歩き(3) 貴船神社編

貴船神社の東側の鳥居にやって来ました。
その手前に波トタンの平屋アパート。
このアパートの西側に、地図にも載っていない狭い通りがあります。農業用水として作られた六郷用水の支流の跡です。



貴船神社の東参道です。3日後に祭礼を控えているので、境内は祭りの準備が進められていました。


先ほどの六郷用水は、参道を通って貴船神社の境内を横切って流れていました。それをまたいだ名残が、太鼓橋です。


貴船神社祭礼を知らせる張り紙です。
今年は、5月23日・24日に開催されました。残念ながら、今年もお祭りは見に行けませんでした。


境内には、京浜運河埋め立てに伴って海苔漁業権を放棄することになり、海苔生産終焉の記念として昭和16年10月に奉納された常夜燈があります。結局、埋め立ては戦争の影響で中止となり、戦後、生産は復活したのでした。


貴船神社の境内を出ると、元海苔生産者のお宅の前を通ります。
秋になるとキウイがなるので、近所ではキウイの家と言われているらしいです。


氏子の家では、貴船神社祭礼の幟旗を出していました。

2009年5月28日木曜日

【地域】大森海苔のまち歩き(2) するがや通り編

美原通りを内川橋から分かれている道は、羽田に向う道、羽田道(すりが屋通り)です。内川橋もかつてはするがや橋と呼ばれていたと、橋の石碑に書かれています。
するがやという名前は、昔この通りにあった旅籠「駿河屋」から来ています。羽田道に入ってすぐ左のビルが跡地です。


諏訪神社祭礼(5月30日、31日)の張り紙がしてありました。この辺は、貴船神社の氏子かと思っていましたが、諏訪神社もいるようです。


大森の町のあちこちで目に付くのが、波トタンのアパート。
海苔生産が終わった後、補償金を元手に海苔干し場にアパートを建てる家がおおく見られたそうです。昭和30年代終わりから40年代に流行った建築資材が波トタン。
波トタンの建物探しをするだけでも、結構面白いのです。


道は途中で二手に分かれます。どちらが羽田道(するがや通り)なのか、はっきり分かりません。表示もどちらとは示していないところを見ると、どっちもそうなのかもしれません。


二股を右手に進むと、「東小町商事」の焼き海苔の幟が目に入ります。


そのマンションの先にある、トタンの小さな小屋。昔の海苔つけ場と思われる建物です。


波トタンの中でも、一際目に付くのがブルーのトタン。案内してくれた方の命名「大森ブルー」。
トタンだけじゃなく、柵や箱までこの色で塗っている家も発見しました。
昔の大森の海を懐かしんでいるのでしょうか。

【地域】大森海苔のまち歩き(1) 美原通り編

5月20日、海苔の面影を探して、大森のまちを案内してもらいました。

スタートは、旧東海道の美原通り。昔ながらの道幅が残っています。
かつては、北原、中原、南原の字名から三原通りと呼ばれていました。海苔生産が盛んな時代は夜店がたくさん出て賑わっていて、若者たちは仕事の疲れも構わず、毎夜遊びに出かけていたとか。


さわやか信用金庫は、大正8年、大森の海苔生産者への金融融資を目的に設立された東京府水産信用購買販売生産組合に始まります。その後、東京産業信用金庫と改められ、平成14年には東都中央信用金庫と合併して、現在の名称になりました。
ちなみに、そのお隣にある郵便局は、明治10年に設置されたそうです。


享保元年創業の菓子屋「餅甚」。
初代の甚三郎が、現在の静岡県、駿府駿河の国安倍川のほとりから上京し、東海道沿いに「駿河屋」という茶屋を開いたのが始まりだそうです。明治後期に餅を扱っていることから今の「餅甚」に改めたとか。
海苔とも縁が深く、海苔生産者達はくじ引きで漁場が決まると、それを祝って餅甚の大福を箱一杯に買ってきて、近所や親戚に振舞ったそうです。
こちらのお店のあべ川餅は、餡ではなく黒蜜と黄な粉をかけていただきます。静岡の本来のあべかわ餅は、この食べ方なんだそうです。
また、店内に掲げられた古い看板は、炭化させた船底で作られたそうです。
和菓子街道のサイトに詳しいお話が載っていました。
営業時間:8時30分~19時
定休日:火曜
住所:大田区大森東1-4-3
電話:03-3761-6196


内川をまたぐ橋のたもとに、旧東海道(美原通り)の大田区文化財の解説看板があります。


こちらが内川。内川沿いに海方面に歩いていくことも出来ます。

2009年5月10日日曜日

【はま】春の浜辺の生き物たち

ふるさとの浜辺公園での収穫物です。
大きいのは、ホンビノスガイ。クリームチャウダーに使う貝。
シジミ、アサリ、アオサ。

【地域】海苔生産者の信仰を集めた、貴船神社

大森の海苔生産業者の信仰厚い、貴船神社に行ってきました。
もう何度も行ったことはありますが、改めて写真を撮るのは初めてだなあ。


境内にある太鼓橋が特徴です。


末社は熊野権現、その横には稲荷神社。


稲荷、いい顔してますね。ちなみに、写真を撮り忘れましたが、ここの狛犬は珍しい子ども連れ。


境内には、さまざまな碑が建てられている。
昭和3年建立の阿夫利神社を信仰する海盛講の碑。


大正元年建立の常夜燈。


大正11年建立の常夜燈。


昭和7年、大東京市制記念碑。


五百万円寄進したよ、という記念碑。そんなの必要かよって、突っ込みを入れたくなります。


そして、海苔の生産日本一の場であったこと、昭和38年の春を最後に漁業権を放棄したことを記す、「漁業納畢之碑」。
氏子が住む浜端地域の人々が建立した記念碑です。

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